海外Vを見るようになったワケ

新しくブログつくりました。

別に普段たいしたことを考えているわけではないのですが、それでもツイッターの文字数制限をゆうに超える文章を書きたいときというのがやはりあり、そのための場所としてすでにnoteのユーザーページを取得してはいました。ただ、どうもプラットフォームの色と自分が書きたいものの色が調和していない感が否めなかったので、より平滑な雰囲気のはてなブログ地区に拠点を移し替えた次第です。少なくともこの村にいれば、敬体で書かなきゃという妙なプレッシャーに伸されることはなさそう。

形だけいっちょ前に一屋根構えてはみましたけど、確固とした今後のビジョンじみたものはあんまりありません。むしろ、方向性をきっちり定めることなしに、「VTuberに関連するものならなんでも」の雑さを元手にして肩肘張らず運用していけたら理想的だなと思ってます。ツイッターだけだとこぼれてしまう感想の落ち穂拾いみたいなもんです。

ブログの題名は、サメちゃんことがうる・ぐらの喋った日本語から採っています。

16分20秒あたり

夏目漱石かと思った。

なんで海外Vみてんの

さて、元々はこれだけで締めにするつもりだったのだが、この時点での記事のタイトル案が「ブログ」「ブログはじめた」「■」「投稿テスト」など何とも掴みどころのないものばかりであることにさっき気が付いた。別にそれでもいいのだけど、せっかく生まれて初めてブログを始めたのだから、見掛け倒しだとしてもなんかもうちょっと強度のある題名が自ブログの記事一覧に並んでいるところが見てみたいのだ。

そこで、以下の部分では「なんでおまえそんな海外(正確には英語圏)のVTuberに入れ込んでんの」という問いに対する私なりの回答をまとめて書いてみることにする。ブログの最初の記事という意味でも、自分の趣味の根幹にアプローチするややハードな試みであるという意味でも、この問いはおあつらえむきでしょう。

ああ、これでタイトルを「海外Vを見るようになったワケ」とでもすることができる。もう満足した。

概論

本論へ入る前に、バーチャルユーチューバーをめぐる歴史について、簡単に自分なりの歴史観を示しておきたい。この部分の認識にずれがあると、後に個別具体例へ踏み入れるにあたって、何一つ話を理解できなくなる可能性があるからだ。「ああ、こいつはそう解釈してるんだ」程度の気持ちで読み進めてほしい。

キズナアイバーチャルユーチューバーという概念に命を与えてから早五年、いつの間にかこのタームはVTuberという、よりスリムで140字制限にも優しい形状へと進化を遂げた。それと同時にバーチャルなる言葉がマジックワード化し、その語感ばかりが独り歩き……する未来は、なぜか訪れていない。

前提として確認しておきたいのは、17年末に突如起こったカンブリア爆発*1から生まれた「バーチャルユーチューバー」と、にじさんじ台頭後の「VTuber」とでは、もと後者が前者から派生したものであるのにもかかわらず、言葉の指すキャラクターの性質が相当に異なるということである。日本では実質にじさんじに差し押さえられて久しいこの「VTuber」という語の意味合いは、キズナアイら「バーチャルユーチューバー」の時代には予想もできなかったほどに生身感あふれる、タレント業寄りの位置へと頑丈に固定され、もはや動かすことは難しい(以降の文章ではこの基準に従い、「バーチャルユーチューバー」と「VTuber」という語を使い分けているので、精読の際には注意されたし)。

一方でこの変化は、堅牢なマネタイズシステムの構築と寄りかかり合い進行してきたものでもある。VTuber業界に付けられた値札の額は、ゼロサムゲームがああだこうだという足し算引き算を知らないアンスレのレスには一瞥もくれず上昇を続け、先日とうとうフジHDの時価総額を上回ってみせた。

そのニュースがいい知らせか悪い知らせかなどという判断は、自分の手に余るようならとりあえず保留にしておけばいい。認めておく必要があるのは、国内のVTuber市場が外目には問題なく回っているということと、バーチャルをめぐるゲームチェンジが漸次的に起こったということである。

この「ゲームチェンジ」について、今年の2月26日をもって無期限活動休止したキズナアイのプロデュースに、当初から携わってきたJ.matsuda氏はこう書いている。

さらには、今まさに列強を極めるVTuberの登場だ。
配信者×アバター化、生主のリプレイス的なコンテンツは、中に人がいるということを許容し、より顕著に"中の人"の魅力にフォーカスするコンテンツだった。結果、思い描いていたバーチャルYouTuberという定義は、ユーザーの思考の中で大きく書き変えられたのではないかと思う。

キズナアイは確かに実在する。|J.matsuda

氏以上に、この出来事を語るのが適任である人物は、おそらく存在しないだろう。

さて、国とわざわざ書くくらいなら国はどうなんだという話だが、これについてはだいぶ事情が変わってくる。ホロライブ英語圏で爆発的な広まりを見せて、それに引っ張られるようにVTuberカルチャーそのものが本格的に海の向こうへ紹介されてからすでに二年になるが、日本国外で独自に発展したマーケットの規模は意外にもそう大きくない。要するに、英語圏VTuberのオタクに推し*2を訊ねたら十中八がholo(ホロライブ)、二がniji(にじさんじ)のタレント名で返すような状況がいまだに続いているということだ。新規参入がパイの奪い合いに参加したくとも、そもそもパイの余りがどこにも落ちていないのである*3

これは単一の原因によるものではなく、たとえば「英語圏」として指し示される地域が私たち小国の住人にはとても想像できないほど広大であることだったり、目下のコロナ禍のためにVTuberタレントの移動が制限されていたり、そもそも既存のTwitchストリーマー市場との棲み分けがえらくいい加減だったりと、関係のありそうな諸要素を挙げていけばキリがない。さらにそれらの要素が相互に絡み合ってとなるとすっきりした解釈はもはや不可能だ。

しかしこのことは、とどのつまり海外のVTuber人気が、日本の大手事務所の抱えるタレントの人気に今なおおんぶにだっこ﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅なのだという面白味のない事実を示すに過ぎず、VTuberカルチャーの定着とその影響力の拡大を否定するものではまったくない。現に、国外へと輸出されたVTuberというタームは、海外進出の旗手となったいくつかの大手事務所のもはや預かり知らない領域で、今日も今日とて元来のパワーバランスに対しめちゃくちゃ侵襲的に振る舞って、インターネットの形を変えまくり、それに寄り添って生きる一般市民の認知の形までを変えて、ナードらの人生を立派に混乱させている。
なお、ここでの「形を変える」とは、「活版印刷が中世人類の認識を塗り替えた」みたいな意味の《変える》ではなく、「形変えてしまうぞ」に近い《変える》であることに留意していただきたい。旧世界のインターネットの住人たちは、VTuberカルチャーのなかば強引な来襲の真っ只中、そのパワーのもとに跪くか、戸を閉めて知らぬ存ぜぬを突き通すかの二択を、一日ごとに迫られている。そして、どの選択がどのような未来をもたらすのかは、誰にもわからないのだ。

以上、おまじないパートでした。これまでの内容を前提にした論を以降の文章で持ち出すことがあっても、そこはお咎めなしにしてもらえるとありがたいです。

幕間1

物事にはなんであれ始まりがある。
だからといって、自らの人生にいくつ始まりがあったのかを正確に把握している人間はひとりとして居やしない。おそらく起点の記憶のうちのほとんどは、度重なるそれ以後の記憶の上塗りにより、今日において改めて参照することは絶望的な状況である。たとえば:

  • あなたの性自認の原点はどこにあったのだろう? 記憶をいくつの頃まで遡れる?
  • 野菜を食べるのを嫌がる悪い子にあなたが育ってしまったのはなぜ?
  • 私たちの立つこの地面が球体であるといつ教わった?
  • どうしておれはオタクになってしまったのか

これらの問いに答える術を我々は持たない。勝ち目のない戦いの勝敗をずっと先まで持ち越しながら、もやもやした気持ちを抱えて人生を送ることになる。本当に、どうしておれはオタクになってしまったのか? 決して答えは出ない。

しかしながら、私たちはごく稀に、はるか深く遠くにあるはずの記憶をふと思い起こすことがある。この辺りの話には明るくないので適当に茶を濁すが、「ある場所・状況に紐付けられた記憶が、ずっと後になって同様の環境に曝露したとき一気に引きずり出される」という理論は、実体験と照らし合わせても納得できる説明であろう。

一か月ほど前、中坊の頃から使っていたノートパソコンを久しぶりに開いてみて、これとまったく同じ体験に遭遇した。沈澱した記憶の澱から日の下に引きずり出されたのは、何についての思い出だったろうか。ここで回収された記憶こそが、私の心に初めて根ざしたバーチャルユーチューバーこと、夏実萌恵にまつわるものであった。

夏実萌恵の話

遊び場の入り口

夏実萌恵
この後に続く彼女の台詞は
「いいえ、人生は十分狂ってるもの カジュアル野郎でいいわ」

夏実萌恵は、アニメ娘エイレーンが18年夏に立ち上げたバーチャルユーチューバーである。彼女はアメリカ在住の大学生*4キャラクターで、
「ゲームを英語で実況プレイした動画に日本語字幕を付けて投稿する」
という、ある意味では模範的なバーチャルユーチューバーとして活動をしていた。

萌恵が持っていた英語特化スキルという物珍しさ、その外見の清純さとまったくミスマッチなお口暴走マシーンぶりは、当時の国内コミュニティでまさしくどっかんどっかんウケた。加えて英語圏からのチャンネル登録者ブーストを得た彼女は、デビュー半年と経たないうちに、有数の人気を誇るバーチャルユーチューバーの地位へと上り詰めた。当時の彼女が投稿した動画の、盛況を極めたコメント欄を見返すと、たくさんの英語コメントに交じって「初めて本気で英語を勉強しようと思えた」みたいな日本語コメントがぽつぽつ付いているのが印象的である*5

私が彼女の存在を初めて知ったのはツイッターにおいてである。どっかのオタクが作った、ゲームの中で萌恵が赤ん坊をゴミ箱に投げ捨てるという内容のクリップがタイムラインに流れてきたのだ。それはとてもユニークで、面白く、しかもやけに私のチャレンジ精神を煽った。
というのも、当時高校生になったばかりの自分は、中学卒業の直前に学年一律で受けさせられた英検2級の成績に、なんとなく鼻高々になっていたからだ。そんな根拠のない自信を抱えたまま、ほぼ初めて生の英語に触れることになった自分が、「結構いけるもんだな」という自負心と「もっともっとこのキャラクターの喋ることを理解したい」という意欲に胸を躍らせたことは想像に難くない。それにも増して、英語のオタクコンテンツに取り組んでいる自分というメタ認知は、ますますおこちゃまな私を得意にした。

実際、彼女は freakin’ coolマジイカしたバーチャルユーチューバーだった。手術シミュレーションゲームで患者の肋骨を砕いといて
「マジ内臓レイプね*6
とか言い出す暴れ犬萌恵は、自分にとってこれ以上ないほど刺激的なコンテンツで、見事に釘付けにされた。
ドナルド・トランプをクソコラする動画冒頭で「これって政治的な感じになるのかしら、政治はちっとも分からないけど」と話す見切り発車には感心したし、「動画を収益化して学費を支払うためにこれから汚い言葉は控えないと」と説明する萌恵が『自業自得だろうが』のツッコミ待ちであることが誰の目にも明らかな様子が可笑しかった。キャラ設定でスキンヘッドを試し見して「ガン患者にはなりたくない」と言い出すのはちょっとやりすぎな気もしたが、彼女はかわいかったので誰からも何のお咎めもなかった。

一切がオフレコであるかのまま月日は過ぎ、かたや自分は、その特異なコンテンツを満足に味わうことのできる自らの英語力を誇りに思いながら、彼女の動画を再生してにやにや笑っていた。今振り返ると、そこには一種のエリーティズムが混ぜ込まれていたのだろう。
幸いなのは、後々このエリート意識を変にこじらせずに済んだということだ。もっとも、そこからの離脱は私にとって荒療治でもあった。

2MBもあるgifをブログ記事に貼ってしまいすみません

何が起きたのか

事情はこうだ。そのうち、彼女が投稿した360°VR+ASMRという形式の動画が、YouTube内でバズった。これは本当に読んで字のごとく、VR動画とASMR動画の合わせ技そのものだ。ヘッドセットを装着したままベッドに座って待っていると、いつの間にかすぐ隣に彼女がいて、あなたにしか聞こえない距離で何かしら甘い言葉を(罵りの場合もある)囁いてくれる。
想像してもらえればわかる通り、その依存性は計り知れない。何てったって、萌恵は最高にかわいいから。動画サイトに置いておくには極めて危険な代物だ。とにかく、そういうものが急にたくさん再生されはじめた。

そのバズの当然の帰結として、萌恵の投稿動画に同様の形式のコンテンツがだんだんと増えていった。自分がちょっと気を抜いている間に様々なバリエーションの360°ASMRが投稿され、そのうちのひとつは、口に含むとパチパチ弾けるキャンディを舌の上で鳴らしてみせ、その音を耳元で聞かせるという内容であった。
そして、その増加と呼応するように、これまでチャンネルのメインコンテンツとなっていたゲームプレイ動画の投稿数は減少した。それは別の表現をするなら「路線変更」とでもいうものかもしれなかった*7

自分は萌恵のことが好きだったが、360°ASMRを見る気にはどうしてもなれなかった。自立したひとりの人間が視聴するものではないように感じたし、自分が好感を抱いていた「粗にして野だが卑ではない」的な萌恵の印象から、若干逸れてもいたからだ。加えて、この頃にはもはや、にじさんじが業界全体に敷衍させたVTuberカルチャーにほとほと嫌気が差してしまっていたこともあり、自分の興味関心がバーチャルユーチューバーから、正確に言うとバーチャルユーチューバーが音もなくVTuberへと転身していく様子をただ眺めるだけの日課から、離れ始めていた。萌恵の路線変更は、まさしくこの「バーチャルユーチューバーからVTuberへ」のドアをノックするものであるように私の目には写った。

翌年夏ごろ、萌恵も業界の流れに乗ってYouTubeで生配信をするようになった。その変化は、ファン層から悪くない反応を得られているようであったが、自分は視聴してみようとはまったく思わなかった。「生配信」という、悪く言えば垂れ流しの様式は、VTuberが持つ悪しき特徴の最たるものくらいに考えていた*8のがその理由であるが、実はもっと重大な秘密がある。日本語の焼き込み字幕が付いていない数時間ものアーカイブをチェックするのは、当時の自分にはまったく途方もないことのように感じられたのである。『二時間英語だけ? ムリムリ。あれっおれの英語力たいしたことなくね?』というわけだ。

自らの能力への驕りのもと生まれたエリーティズムは、果たしてこのようにあっけなく崩れ去り、自己嫌悪に陥ったタイミングでふとモニターから顔を起こすと、もはや毎日暇を持て余して過ごすことが許される時期はとっくに過ぎていて、私は私自身の無自覚な怠惰のために失いかけていた友人らからの信頼や、ひびの走っていた勉学の習慣を取り戻そうととにかく必死に駆けずり回り、気が付けば一か月が経ち、二か月が経ち、それがやがて一年になった。
いつの間にか、自分は萌恵のことを思い出さなくなっていた。

・・・・。

・・・・・・。

反省

いや、いいんだよ。別によくないけど、誰しもそういうことはある。テキトーすぎて申し訳ないけど本当にそう思う。
身も蓋もない言い方をするなら、高校生になりたての自分は無理な背伸びをしていた。本当は聞き取れていない単語を、聞き取れているものだと思い込んだ。訳のわからないジョークを、それがジョークだと気付くことすらないまま通り過ぎた。
別にその程度のこと、たいしたイタさではない。及ぼす害だってたかが知れている。もっと本質的な失敗は、彼女が「路線変更」をした理由を見誤ったことだ。

はっきり言って、萌恵の路線変更の理由は明らかである。彼女は、自身のチャンネルの主ターゲットを英語圏に設定しなおしたのだ。
萌恵の当初の動画は、音声こそ全編英語ではあるが、ものすごく読みやすい位置に日英字幕を表示していたし、何よりその投稿動画のお行儀の良さという面で、どうしようもなく日本人向けのコンテンツだった。それは、海外のバーチャルユーチューバーコンテンツを日本語に翻訳したものというよりはむしろ、日本のバーチャルユーチューバーのやっていることを英語に翻訳したものに近かった。

なにせ、同時期に英語圏オンリーで活動していたバーチャルユーチューバーらといえば、大抵の奴らは、萌恵よりもっとずっと投げやりな編集のゲーム実況内で節操なくミームを使いまくり、意味のないshitpostクソ動画を連発するのがその活動の内実だったのだ。という風にあんまり無責任に語るのもよいことではないが、少なくとも初期の萌恵チャンネルのカラーと比べて圧倒的に「雑」であったことは確かだ。そういう点で、当時の萌恵は英語話者のバーチャルユーチューバーではひときわ異彩を放った存在だった*9

このような顛倒が起こったのは、萌恵が日本語圏で活動するユーチューバーのエイレーンのもとからデビューしたことに起因する。
ここから先はあくまで想像の域を出ない話だが、おそらく活動開始当初は、投稿動画の方針がきちんと定められていたのだろう。曰く、10分前後のゲーム実況中心で。あんまり砕けた英語は使わないように。汚い言葉はきっとウケるだろうから言ってもいいけど、日本語圏で通じないネタを扱うのは極力避けること。云々。
これが事実だとしたら、すなわち萌恵に対してはとても堅実なマネジメントがなされていたのであり、それはむしろ評価されるべきことだ。

しかし、彼女は、自分の望むコンテンツを作りたいと言って、はっきり英語圏の視聴者へ向け舵を切りなおした。彼女自身、視聴者にそう説明する動画の投稿もした。その結果として、目に見える路線変更が起きたのである。
それは「VTuberへの音なき転身」などという一言で語れるようなものではない。彼女は、自身が本当にやりたかった活動に正面切って立ち向かうようになったのである。

そして、当時の私はこのことをまったくと言っていいほど理解していなかった。これは想像力の欠如によるものであり、この欠如が、さっき述べたような小さな悲劇を生んだ。

「当時の私」と書いたが、正直ここまで考えた後でも『360°ASMRに関してはまあ、別にパチパチキャンディじゃなくてあの、なんだ、ざざーっ……ざざーっ……て波の音鳴らす楽器あんじゃん、あれでもよかったかもしんないね、パチパチ(目をしばたたかせる音)』って気持ちがないわけではない。ないわけではないが、いやいやそうではないのだ。それはたぶん私が抱いている「聖性」のイメージからして、全然感情の入れどころを間違っている。この陥穽を回避するためにあえて違った言い方をするなら、私は単なる好き嫌いを、ほかの何か似ても似つかぬものと見間違えたのだ、とも説明できる。

エピローグ

この記事を書くにあたって、萌恵チャンネルの最も再生数の多い360°ASMRを視聴してみることにした。
何も見ずして推測だけで物事を書き連ねるのは、不誠実な振る舞いだからである。過去を振り返っていて単に寂しくなったからでもある。

以下に貼る一枚のスクリーンショットに何を思うかは、人によってそれぞれ異なるだろう。私は、私自身のそれについて、ここでは表明しないつもりだ。

《Life may be meaningless, but being with you gives my life meaning》

夏実萌恵は、21年10月をもって萌恵チャンネルでの活動から非アクティブとなり、現在は個人VTuberRaven Manor として配信活動を行っている。
彼女の再出発の前途に幸多からんことを祈るばかりです。

幕間2

自分が萌恵の動画をチェックしなくなった19年夏からおよそ一年ほど、国内のVTuberの話題に対してとにかく冷淡な態度を取り続ける期間が続いた。あまり健全なこととは言えないが、萌恵から離れた理由の大部分は当時の国内VTuberシーンに対する嫌悪感*10に裏打ちされたものであったのだし、その嫌悪感を乗り越えてくるほどの魅力を当時のシーンに見出すことはどうしてもできなかったので、ある意味で当然の成り行きでもあった。

多少暇ができた翌年の春ごろに、一週間集中してホロライブ日本メンバーの切り抜きを見まくった時期があった。先に述べた通り、食わず嫌いによる評価というものは著しくアンフェアーな行いであるためだ。結果、どうも勢いのある流れに乗ること自体に楽しみがあるようだという理解にまでは至ったものの、全体としてVTuberシーンへの濁った印象が覆されることはなかった。

当時未曽有の急成長を見せていたホロライブで行われていたことは、にじさんじと少し毛色が異なってはいたのは確かだが、少し異なるからといって何なのか? という疑念が一度出てきてしまえばそれだけでささやかな望みはおしまいだった。VTuberシーン自体、もはや展望も何もなく、ただ続けられるから続いているだけのムーブメントのような気がした。止まらないのは結構なことだけどどこへ向かってるんだい、そっち行ったら埋もれちゃうよ、と思って眺めていたらなるほど、やっこさん「止まらない」んじゃなく「止まれない」んだと見える。こりゃあのブームに乗るのはやめといたほうがよさそうだ、と判断した人間は、私のほかにも複数いたはずだ。いないとおかしい。

その一方で、海外のVTuberについてはあえて門戸を閉じることはしなかった。当時の英語圏VTuberといえば、まだまだインディーズが中心のよくわからない界隈で、上に挙げたような嫌悪感の生じる余地があまりなかったというのも理由のひとつだ。が、そもそも、言葉が通じない、文化的土壌も共有していない、ましてや流入したVTuber文化の歴史的経緯なんて知る由もない、こじんまりとしたコミュニティで気ままに楽しんでいる海外VTuberに対してまで十把一絡げに「きもいなーとづまりすとこ」という態度を取るのは、普通に考えて不条理なことであると誰もが気付くはずである。

つまり、言語の壁を抜けていく段階で、我々の評価の目印となっていたあれこれの付随要素は、かなりの割合でリセットされると考えるべきなのだ。このことを、我々の文化圏における解釈の手を離れる、という別の表現で言い表してもいい。

そして、言語の壁による文化の隔離というものは、DeepLが発展した程度でレガシーな概念に追いやられるような脆いものではない。私は、この隔離による文化の変質が、あわよくばとんでもなくへんてこな世界を作り上げてくれるんじゃないかという可能性に密かに期待したのだ。かつてのバーチャルユーチューバーの時代とは根っから違っていたとしても、それと同じくらいのわくわく感を掻き立てるような「何か」よ爆誕してくれ頼む、と祈るだけ祈ってから、そんな都合いいことあるわけないさと5秒で不貞寝し、まあそれでも誰かこれと思うメシア*11が見つかれば、その活動を追うようにするだけの心の準備は整えていた。

無論、用意があることと実際にしっくり来る人を発見することとは別の問題で、私はしばらくの間これといったお気に入りの海外VTuberを見出すことなしに日々を過ごした。幸いにも、萌恵の生配信をリタイアして以降は英語力も幾分向上していたため、徒然なるままにようわからん海外ミームを見漁ったりとかはやるようになっていたが、逆に言うとできたのはYouTubeの放浪だけということでもある。これを書くうえで当時見ていたコンテンツを一つでも思い出そうとしてみたが、何かしら形あるものを拾い上げるにはあのときの経験はあまりにも雑多なものでありすぎ、ほとんど意味あるサルベージにはならなかった。

結論として、このとき探していた「何か」は今日に至るまでとうとう見つけられていない(近づいたり、遠ざかったりしているとは感じる)。意外な収穫だったのは、その「何か」の外側に運命的な出会いがあったということである。
萌恵のもとを離れてからずいぶん時が経った20年9月、自分はふたつの重要な存在との邂逅を果たした。すなわちひとつが hololive English(後述)、もうひとつが天野ピカミィだ。

天野ピカミィの話

衝撃

天野ピカミィ
WE ARE BIG YABAI なのだ、なにはなくとも

天野ピカミィは、マルチクリエイターのGYARI氏が創設した VOMS Project に所属するVTuberである。彼女は日本人とアメリカ人のハーフで、日本語圏と英語圏をまだらに行き来する子ども時代を過ごした結果、今では日本語と一緒にとてもプレーンな英語でも喋る。そのスキルでもって、両言語圏にリーチする活動スタイルを初期から貫いているのが特徴だ。

私は単にネットサーフィンの一環でピカミィのことを知った。英語を話すが日本語圏でも活動するVTuberという構図に、かつて萌恵に埋め込まれた謎の体内機関がほんの少し唸るのを感じ、特になんということはなしにチャンネルトップにあったハッピーホイールズの実況を再生してみた。そのアーカイブは全部で4時間弱の尺からなっており、これは猫も杓子も早送りや飛ばし飛ばしの動画視聴を要請される20年代において、まったく有り得ないほどの大長編コンテンツであった。最初の10分だけ再生して、雰囲気だけ掴んだらそれで終わるつもりでいた。

結果的に私は、動画開始から2時間地点までを息継ぎなしで見終えた。

いける、と思った。党派性がない。不用意なアピールがない。演じる者と見る者(その何割かはコンテンツの対価としてお金を払う)の間に、とても単純な関係性しか内包されていない。
この人はVTuberだけど、いいVTuberだ……。

「BIG YABAI なんだよ~」

ハッピーホイールズをプレイするピカミィ
猛スピードで迫る殺人コンバインに追いつかれると
哀れプレイヤーは粉みじんに

彼女の特殊性がどこにあるのかを明確に差し示すのは、どうも難儀な仕事らしかった。
VTuberだけど」と前置きした通り、ピカミィが形式に乗っ取った行儀のいいVTuberであることは間違いなかった。もちろん、いったい何が揃っていればVTuberなのかという必要条件を細かく考慮し出すと話はややこしくなるが、少なくともピカミィの行っていたこと:

  • 一週間の配信スケジュールをツイートする
  • サムネイル制作などの事務作業をこなす
  • スケジュールに沿って配信開始ボタンを押す
  • ゲームプレイとかを肴にしながらあることだったりないことだったり、たくさん話す。手腕が問われる
  • コメントが書き込まれたり、スーパーチャットを視聴者から送られたりするので、それに対して適切な反応を返す。これまた手腕が問われる
  • 配信終了ボタンを押す。絶対に忘れてはならない
  • ツイッターをチェックする
  • そのほか色々
  • (私生活へと戻る……)

これら*12は、業界のロールモデルから大きく逸れたものではなかった、どころか、ロールモデルそのものですらあった。にもかかわらずピカミィの周りには、VTuberという名で同列に述べることが憚られるくらいに健全なコミュニティが形成されていたのだ。不思議な話だった。

思い浮かぶのは、プロジェクト創設者のGYARI氏による「活動内容はメンバーにお任せ」「ゆるく楽しむ」「好きにやるので好きに見てほしい」*13といった方針設定のセンスの良さだ。VOMS Project はこれらのコンセプトが、ひとえにGYARI氏の人望と献身によって有名無実化しないまま機能し続けている稀有な集まりだった。同期三人(20年9月当時)ともがこのことの意義をふわっと共有し、建前先行でない有機的な繋がりを、もっとわかりやすくいえばゆるーい仲良しグループを作ってる感じもなんだか微笑ましい。これなら配信者と視聴者が共依存関係に陥らないクリーンな配信活動が……って、おいおい話はそんなに単純ではないだろう。それで万事うまくいくならみんなそうしてるよ。ピカミィの保っている奇跡的なバランスを説明する要素は、ほかにもたくさんありそうだった。

とここまで書いといてなんだけどこういう根掘り葉掘りはキモいしやめておくか。そりゃどう考えたってピカミィが純真のいい子すぎたり生粋の天然で時たま変なこと言い出したりっていう個人の性格・特性に帰するところがあまりに多すぎる。誰にだって真似できることではなし、分析したってしょうがないのだ。そんなのより本当に大事なのは
「ヤヤヤヤバい!」「Get outta my way dayo!」「How do I jump なんだろう?」
とか
「マジできが…きが……きが…きが……気が気じゃない!」
などの日本語英語を交えながら背後に迫りくる殺人コンバインから逃げ惑うピカミィのさまと、それを見守る視聴者という図式が、あまりに斬新で荒唐無稽でsatisfyingであることだ。こんな光景はこの世に二つとないと断言できる。

ズッコケ三人組

VOMS Project にはピカミィのほかに二人、緋笠トモシカと磁富モノエというVTuberが所属していた。トモシカネキは場をかき回す火付け役を担当しながらその実、衆目に触れない場所では姉御肌を発揮する人柄、磁富のほうはGYARI氏から拝領した「エリートイキリ胃痛オタク」の称号の通り、カッコつけるけどちょいちょい空回りという人柄で、私はこの二人の活動もピカミィと同じくらい熱を持って見ていた。こんな簡単な言い方でうまく説明できるのか不安だが、何だか配信画面に映っているものがそのまま真実であるかのような素朴さに惹かれたのだ。

この二人はピカミィと違って英語話者であったわけではないので、そんならおまえ海外Vが~みたいなひねり持ち出すまでもなく普通にVTuberのファンじゃねえかよとツッコまれれば、まあ反論はできない。二人ともピカミィと同じく、活動の内実は典型的なVTuberそのものだった(ピカミィと比べて少し配信内容にクセはあったが)。VTuberという形態への違和感よりも、その飾り気のなさが身体に効いたということなのだろう。だろう、と推量形にとどめているのは、いつの間にかこのときの心持ちを正確に思い出せなくなってしまっていたからだ。理由はともかく、自分はVOMSの三人になみなみならぬ魅力を感じた。

何よりこの素朴さという特色は、三人が一堂に会する機会で最も強く外へ現れた。VOMSが活動開始して間もない時期のコラボの、まだ微妙に打ち解けきれていない気まずさで表面がごわごわしている感じや、それから半年経って当初の緊張感はどこへやらという風に和気あいあい歓談しあう様子を、私はどこかほっとするような気持ちで眺めていた。三人で Human: Fall Flat や Party Panic、Party Animals をプレイしているアーカイブを、テープが擦り切れるまで再生していた覚えがある。そういえばクリスマスに集まってエンドラ討伐しに行ってたのもよかったな。
……これだけ当時の楽しかった記憶は残っているのに、なぜ最初そこに楽しさを見出したのかというきっかけの部分がどうしても思い出せない。怖くなってきた。シンプルに神経が参っていたのかもしれない、しんどい時期だったので。

往時のスクショを発掘したので記念として貼っておく。20年の11月末日だそうだ

とにかく、VOMSの三人が生み出すケミストリーの居心地の良さといったらなかったのだ。翌年2月に、TRPG慣れしたモノエの持ち込んだ『VOMS探偵局』というゲーム企画がとても面白くて、もとから小演劇のようなものが好みの自分は胸を熱くした。この三人でもっと別バリエーションのアドリブ劇場が見られたらこんな嬉しいことはないなと表通りをルンルン気分で往来したそのほぼ翌日、

突然はしごを外された。

「あっ」

・・・・。

・・・・・・。

失意からの恢復

油断があったことは確かだ。
表に見せるものと裏に秘めているものが一致することなんてまずない、という大原則が、彼女らの活動を追ううえでかなりおろそかにされていた。普段の自分はむしろそのことを指摘する側に立つ場面が多かったにもかかわらず、だ(やっぱり当時は判断能力が有意に低下していたのかもしれない)。

彼女が彼女の居場所を去らざるを得なかったことの背景にも、この表と裏の不一致の存在が確実に影響していて、それは自分含む多くの人間にとってまったくの青天の霹靂へきれきであったようだ。残される形になった二人とGYARI氏、そして彼女を知る多くの知人らも例外ではない様子で、そこに漂うあまりのいたたまれなさに自分はとても堪えられず、VOMSをめぐる進退について調べることを一切やめてしまった。端末に何百枚も保存してあったファンアートもすべて削除した(見るのが辛かったのだ)。どう動こうと、身を切られるような痛みからは逃れられない気がした。

ま~た後味悪い結末迎えちゃったよと傍からは思われることだろう。確かに、決して気持ちのよい出来事ではなかったが、悪いことばかりではなかった。このインシデントは、VTuberという概念そのものについてばかり思い悩んでいた私に、VTuberを自生活の空き棚のどこへ位置づけるか」という観点について一考を促す絶好の機会となったのだ。

盲目になっていると、この項目についての判断がついつい落ちてしまいがちである。特に自分のような極端な人間にとって、VTuberは先方から差し出されるものすべてについて全力でコミットするか、あるいはすべてから身を引くかという二元論を要求するコンテンツに、どうしても見えてしまうものだ。そこで気を確かに持って「私が受容するのはここからここまで、後はノータッチのままにしておきます」という風にオッズを調整する(all-or-nothingに陥らない)ことができるかどうかが、その後の生活の命運を分けるというわけだ。私はこのことを、失意と悲しみのうちに学び取らされた﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅。そういう点では、結局自分は萌恵のときと同じような荒療治に終始したのだという言い方ができるのかもしれない。

そんなわけで、後味悪い結末という表現については少し口を差しはさみたくもなる。さっき「ファンアートを全部消した」的なことを言ったせいで、私がVOMSと金輪際決別したという印象を与えたかもしれないが、事実はそれとは異なる。さすがにひと月も経つとかなりダメージも癒されてきて、インシデント発生以前の熱心さで、とまではいかないものの、残された二人の活動のキャッチアップをしようという前向きな気持ちが戻ってきたのだ。
二人の一周年&新衣装お披露目記念配信を、心の底からおめでとうという感情でもって視聴することは思いのほか難しくなかったし、なんだかんだ二人は二人でもうまくやっていけているようだった。三月ほどが経って、つつがなく新メンバー募集の公示がなされ、VOMSは新しく加わったメンバーを合わせた四人の箱になった。C99に合わせて、GYARI氏の作曲した VOMS Project のオリジナル曲が発表された。みんながうまくやっていた。

彼女らはうまくやっていたし、今に至るまでうまくやっている。結末だとか幕切れだなんてとんでもないのだ。
彼女らは、今に至るまでうまくやっている。嘆かないでくれ。

生き方

さて、最後に少しピカミィの話へと立ち返ろうと思う。
ピカミィは個人VTuberとしてトップクラスの人気を集めていて、YouTubeでちょっと調べれば英語や日本語の切り抜きが山ほど引っかかる。その中には Let’s kill da hoDon’t look back? OK! など、ピカミィを語るうえで避けては通れない定番とされるものもいくつか交じっている。
だが、ここではあえてそういった一発ネタ系ではなく、VTuberの実存そのものへのアプローチに成功している切り抜きを紹介して手仕舞いにしようと思う。英語の切り抜きだが、用いられている文法も単語もごく基礎的なもので、動画には字幕も付いているので、中学英語程度のスキルがあれば最初から最後まで意味を取ることはできるはずだ。

VTuber活動は彼女にとって「仕事」なのだろうか?

VTuberとの関わり合い方を考えるというのは、なにも我々視聴者に限った話ではない。演者の側からしても、VTuber活動は自らの人生のどこかへ位置づけられる一幕であって、それ以上でも以下でもないと説明することが、今や可能なのだ。それは、よくペーパーナイフの例で喩えられる「本質が実存に先立つ」状態から脱却するための、VTuber人間宣言であると(大げさにではあるが)とることができる。

ピカミィが配信活動を通じて、彼女自身の人生を愉快なものにできるなら、それより素晴らしいことなんていったいどこにあるというのだろう。そこに解釈の入り込む余地はない。

結び

「なんで海外Vみてんの」という問いに答えるための材料は、ピカミィの話に入る前ですでに揃っている。要するに、モチベーションは至ってシンプルで、海の向こうでVTuber文化が独自の進化を遂げる様子を見届けたい、ただこれだけなのだ。進化の結果、かつてのバーチャルユーチューバー黎明期に満ちていたわくわく感を得られれば、もはやまったく言うことはない。私は煙となって安らかに成仏することだろう。今年に入ってからは、VShojoの隆盛にそのわくわく感の片鱗が見えるような気がして、私はこれそれなのか慎重に見極めようとしている。

が、ここでめでたしめでたしと話を閉じるわけにはいかないのである。さっき同じ場所で「『何か』の外側に運命的な出会いがあった」と語っていたところではないか。その片方が天野ピカミィだったのはもう聞いた。もう片方の hololive English とは、いったい何なのだ?

私は、今この記事を読んでいる読者の何割かが肩透かしを食った気分でいるだろうことを大胆にも予想する。ツイッターアカウントをチェックしてもらえればわかることだが、私は普段は海外Vというよりは、むしろ hololive English の話しかしていない。集計したわけではないが、全3000ツイート(22年7月時点)のうち2900くらいはholoENの話題で占められているのだろうなという直感がある。また、たとえそうでなくとも、長らく日本国内で海外VTuberの代名詞とされているのは、がうる・ぐらや森カリオペを始めとするholoENの面々であることは間違いないのだ。おまえそれに触れずして話題をクローズしようとしているのかよ、卑怯だぞ、というかそこに触れなきゃほとんど意味ねえだろ。私が読者の側なら絶対そう考える。

しかし、私はここで、それらの正当な批判に臆せず筆をおくことにする。さすがに疲れてきたからだ。20000字を超えるとだんだん読む人の目が白黒してくることも知っている。ここらがいったん網の引き揚げどきだろう。

先駆けて述べておきたいのは、上で話した海外Vを追っかけている理由と、こうまでholoENに(特に、その中でもさらに狭い範囲のグループであるholoMythに)入れ込んでいる理由との間には、あまり連関する点がないということである。
ちょっと前の部分で「『何か』の外側」という風に語ったことを覚えておいでの察しのよい方にとっては、その程度全部すべてまるっとスリっとゴリっとエブリシングお見通しかもしれない。しかしながら、さらにややこしい事実があって、holoENに入れ込んでいる理由は、この記事で扱ったVOMSにはまった理由ともかなり毛色を異にしているのだ。

どうしてなんですか、と問われても、それは一言半句で語れるような単純な事情ではない。おそらくはこのブログの分量と同じかそれ以上の言葉を尽くした説明で、ようやく腑に落ちるといった性質のものだ。私は真剣に、記事を分割すべきだと思った。

もちろん、holoENという自分にとって非常に大きな意味を持っているグループについては、この記事よりもゆっくり腰を据えて書きたい気持ちだってある。きっとこれよりはずっとタフな仕事になるだろう。年内に続きを更新できたらいいとは思っているが、約束はできない。最近は何をしていても、すぐに時が過ぎてしまうような感覚があるから。

参考文献

冒頭の概論部分(国外のVTuber市場についての話は除く)の枠組みについては、『リアリティーショーを批判しているオタクもVTuber見てんじゃん 』で説明されている内容に大いに依拠している。というより、自分自身のバーチャルユーチューバーおよびVTuberシーンに関する史観そのものが、当該記事とそのリアクション記事である『Vtuberオワコン論はオワコンか?』を二年前に読み込んだ経験をもとにして構築されている、と表現したほうが正しい。

同箇所で引用した『キズナアイは確かに実在する。』は、バーチャルユーチューバー初期の盛り上がりを知る者も、そうでない者も、一読することが推奨される文章だ。この記事中でバーチャルユーチューバーという語とVTuberという語をあくまで厳密に使い分けようと試みたのは、当該記事の洞察によるものである。

 


*1:キズナアイが日本語圏で規格外にバズり、これに触発されて彼女と同じ「バーチャルユーチューバー」という肩書きで活動を始めるチャンネルが目覚ましい数発生した出来事のことを指す。

*2:この語の流行および氾濫には強い疑問を感じるが、その問題点についてここではあえては触れない。

*3:Vshojoについての記述が不自然に抜けているじゃないかとお怒りの人があるかもしれないが、あれはもとから活動実績のあるストリーマーを多数抱えて発足した箱なので、新規参入にそのまま含めてしまうには抵抗があるということについては述べておきたい。ただ、8holo2nijiが正確な実情を反映していないという指摘には大いに理がある。なぜなら、人はこれと決めた一つの箱しか応援してはいけないわけではもちろんないからである。実際、holoのタレントを推しながら、英語圏で活動する個人勢や中堅グループをサポート、みたいな例も自分の観測範囲では確実に増えてきている。すなわち、この箇所の記述は、厳密にはまったく正しいものではない。

*4:これは現実世界での彼女のステータスと一致するものであった。

*5:この2年後にがうる・ぐらがデビューした時もほとんど同じ現象が起こったのは、少し面白い。

*6:執筆にあたって該当シーンを見直したところ、彼女の元の台詞は “You’re so fucked” であったため、どちらかと言うとこれは翻訳の妙技という感がある。

*7:あとさっき萌恵のチャンネルを見返して気付いたことだが、19年度は動画の投稿頻度自体がかなり減少していた。単に彼女の生活が多忙だったのかもしれないし、あるいは外部プラットフォームで普通に活動していたのかもしれないけど、当時の自分はめちゃくちゃ熱心に萌恵の活動を追っていたというわけではなく、ツイートとかもチェックしてなかったので、この投稿数の減少の理由が私にはわからない。しかしながら、この減少によって、なおのこと萌恵のゲームプレイ動画の不作を実感する結果となっていた可能性は高い。

*8:何時間にも渡って、動画のときと同じクオリティーでキャラクターを演じ続けるのは到底不可能だ、というのが当時私の取っていた立場だった。2022年現在、この意見は大層古びて見える。

*9:この辺の議論はだいぶ後になってからの個人調査によるものなので、当時を知る者からすれば著しく不完全で不正確な記述に見えるかもしれない。

*10:好きな人もいたが、ごくわずかだ。本間ひまわりさんとか。

*11:るしあではない。

*12:このリストで網羅できているとは思わないし、ボロい商売ですわ笑 みたいに揶揄するつもりなんてこれっぽちもないんだ、ごめんなさい。このルーティーンを月単位で継続するために尋常でない苦労が伴うことは、実感こそなくても頭では理解しているつもりです。きっと常人には二週間が関の山だ。

*13:https://voms.net/concept/