不届きな素人のための映像字幕リバエン

素晴らしい切り抜き
正確には「ファウナの配信たちをアニメシーズンだと思ってよいか」
ということなんですが

本気にしないでほしいのだけど、なじみのVTuberの配信は大体の流れが予想できるので、見る側からするとアニメのようなものでもあるのだ。考えてみれば始まりも終わりも明確だし、ある程度の長さがあるし、ミュトスがある。アニメへの見立てが常に妥当だとは言わないが、さりとて不自然だとも言い切れないのは、外部的な「見え」がそうなっているからだ。星とヒトデだってある観点から見ると似ているのだから、その類似自体を否認することに正義はない。

ところでアニメというと、個人的に思い出すのは焼き込み字幕のあの質感で、これは一般には洋画に紐づいているものかもしれない。いずれにせよ、そういうイメージがVTuberの配信を見ているときにちらついたことがあったので、実際に形にしてみたらそれがとても面白かった。VTuberが話していることを自分で日本語へ翻訳して、あたかもDVDからリッピングしてきた映像のように仕立てるのだ。

She's real to me

あくまで内観的なイメージの再現なので、これがうまくいっているかどうかの判定は自分だけの関心ごとに過ぎないことを踏まえて、一応書いておくとなかなかうまくいっている。やってることはfansubっぽくもあるし、翻訳切り抜きっぽくもある、そのどっちつかずな雰囲気が気に入っている。そんなわけで、ここにひとつ自給自足のループが完成したのだった。私はこの世界をまったく豊かにすることなく死んでいくのだろう。

それで、ちらつく度に似たようなものを作っては出力しているのだが、ちょっと問題があって、焼き込み字幕の独特の質感を再現するのが少し骨だ。やってみるまでは想像もできなかったが、自分のイメージが要求してくる完成度が地味に高い。毎回即興で感覚的に作っていると失敗は避けられず、そしてそれは致命的だ。VTuberは私が無駄にした一日を待ってはくれない。となれば、パターン化できる部分だけでも(技術的な面だけに話を絞るという意味だ)、当たる率の高い方法を自分なりに確立しておくべきだ。

 


プロが仕事としてやっている映像翻訳は、自身があくまで後景となること、その存在が透明化することを理念としている。この高貴さは眩しい。この高貴さを背負い、名も無き職人として自らの仕事を全うし終え、またこれからも全うしていくだろうプロ達は眩しい。そして、素人はこの眩しさには耐えられない。それゆえ、プロ達が規準とする禁欲的な原則は、この記事においては例外なく破られ緩められる方角にずれることとなる。どのように?

映像翻訳家の仕事を見ていて特に目立つ工程はハコ書き、スポッティング、翻訳だ。大雑把に言って、ハコ書きはいまだ分節されていない台詞を字幕一枚ずつの幅(ハコ)に区切っていく作業、スポッティングはそのハコに従って映像をフレーム単位に分節する作業のことである。俯瞰すると分かるように、映像翻訳とは順を追って言葉の流れを変質させていく営みに他ならない。

YouTubeが自動で生成する字幕
「分節されていない歌と言語」ってこれのことだろ。

これらの工程は映像翻訳の文脈では峻別され、そもそも担当者が分かれたりするが、もとの文脈を離れてこの技法を私的に転用することを考える場合、峻別は大して意味をなさなくなる。たとえば、大抵のVTuberのストリームでは映画のようなカットは原理的に挟まらないので、スポッティングの重要性がやや後退する。いや、もっと根本的なことを言うと、作るのが自分一人で評価するのも自分一人なら、なし崩しにハコ書きをやりつつスポッティングをやりつつ翻訳をやればそれで済む。当たり前だ。誰が気にする? だから、素人がハコ書きと言うからといって、ハコ書きというひとつの独立した工程を踏んでいるとは思わないでほしい。それは2つキーフレームを打って前後を3コマ開けるだけのこととほぼ同義かもしれず、その仕事に特化したキーフレーム打ち師などという作業員はこの世にはいないのだ。ナット締め工員のチャーリー君もこれにはにっこり。

ナットをスパナで締める仕事

もうひとつ、土足で踏み込んだ素人の目に留まるのは、ハコ書きで大前提とされる「1秒4文字」の原則である。文字数の多い字幕が観客に負担をかけることは望ましくないから、という至極もっともな理由で制定されたルールに、素人は後足で砂をかけようとする。字幕を読むのが自分自身である分には文字の数がやや多かろうが何の仔細もない。不自然に多くなりすぎなければいいだけ、というのが素人の腹の内だ。この素人は皆の生きる世界をまったく豊かにすることなく死んでいくのだろう。私のことだ。

 


組版的な観点から眺めてみよう。映像翻訳における翻訳の要件は極めてシビアであり、その裏返しとして極めてシンプルでもある。具体的には、以下の二項目で済んでしまう;「最大2行、最大16文字/行」「句読点は使わず空白で代用する」

しかし、これだけではあんまり色気ないから、映像翻訳家は道具箱から約物や種々の装飾手段を取り出してきて台詞それ自体が持っていた生気を代補するのだ。プロの使う道具箱が美しく整理されているのに対して、素人のあつらえた道具箱は中身が雑然としている。しかもよく見ると、後から勝手に足した道具も紛れ込んでいる。

  • 先に述べたように、句読点が担うべき役割は半角空白␣をふたつ重ねることによって代わられる。見えも触れもしないものをどうやって道具箱の中から探り当てているのか?

  • 全角感嘆符!と全角疑問符?は、多用すると翻訳者の技量が疑われることになるだろうが、基本的には極めて有用な約物だ。これっきゃないという場面が誰にも必ず訪れる。

  • 話者を示すときには全角丸括弧(・)を用いる。

    (オリバー)クソッタレ

    という感じだ。この話者表示の用法に限っては最大2行の要件を破ってもよい。

    (オリバー)
    ハンドブックなんか
    クソの役にも立たない

    このような場合は行頭が揃うようにカーニングを施してやる。

  • 感嘆符や疑問符に似て、全角鉤括弧「・」も便利に使われる場合が多い。また、独自の用法として、VTuberが視聴者のコメントをそのまま読み上げてから返答する場面においては、そのことを示すためにコメントを鉤括弧で囲った上で斜体(後述)にする。場合によっては話者を示す丸括弧を用いて(コメント)と明示し、これも例外的に斜体にする。実はクォーテーション“・”もたまに使っているのだが、鉤括弧と何が違うのか私には説明できないし、この道具は捨てるべきか。

カートに入れろと言ったんだ

  • 音引きー、波ダッシュ~、中黒・については、濫用に気を付けろという他で特記に値することはない。リーダー…は三点のものを重ねず単独で用いる。二点のものをふたつ重ねて作っていた時代もあったのだが、よく考えると意味のないこだわりだったので変えた。

  • ダッシュ―を音引きと混同してはならない。映像翻訳に特有の用法として、ひとつの台詞を2枚の字幕で表示するとき、1枚目の字幕が次へと続くことの合図としてダッシュは用いられる。

    ハンドブックなんか──

    と来た後

    クソの役にも立たない

    としてやればよい。他の文字と比べて長いほうが合図としては望ましいのでふたつ重ねる。

  • 装飾的になりすぎる記号は忌避されるが、文末の単芝wだけは道具として許容している。この単芝なしには拾い上げられない要素の量は驚異的だ。実際、

    (オリバー)
    ハンドブックなんか
    クソの役にも立たないw

    としてやらないことには伝わらないニュアンスがインターネットには溢れている。

以上が約物のレパートリーで、続いて挙げられるのは書式に属する装飾道具である。これらは併用してもよい。

  • 特殊な発話を表記する際はその部分を斜体にする。先ほど紹介したコメントの読み上げの他には、ゲーム内台詞の翻訳などが代表例。

  • 画面下部にどうしても邪魔になるオブジェクトがある場合には、字幕を縦書きにして右端に置くという手がある。ただし、画面右端はふつうVTuberが鎮座するための場所なので、文字数の制限が横書きのときよりもさらに厳しくなるのは仕方がない。

  • 演出上必要となる場合はルビや傍点を付してもよい。傍点は中黒で代用する。

 


映像翻訳の真似事をするにあたって最も楽しいのは、あの独特の雰囲気の字幕を偽造することだというのは分かっていただけると思う。翻訳産業ではSSTG1といった字幕制作ソフトが使われているのだが、素人はそんなものを使っている場合ではないので、偽造にあたっては多少の産業スパイ行為に臆していてはいけない。素人のマインドセットはここに至って初めて独特の輝きを帯び出す。そういう意味では、使用するソフトウェアを事細かに指定したくはないし、びた一文払うもんかという心意気こそが予後を思うと望ましいのだが、見栄えのことを考慮に入れるとカーニング機能はどうしても必要で、それだけでかなりの数の手頃なアプリが候補から消えることとなる。少なくともMSペイントでは苦戦を強いられるだろう。

マスオさん、タクシーのワイパーに着想を得て
「自動ダイコンおろし器」を開発する男
産業スパイを最も恐れるのは産業スパイだ

フォントはFOT-UD丸ゴ_スモール Pr6N DB(有料フォントだ!)で、和欧混植の類はやらない。アートボードのサイズをフルHDにする前提なら、フォントサイズは60ptに設定し、最下行のベースラインの中点が(960, 985)に来るよう配置する。極めてconfusingだ。以下の画像をダウンロードして目視で位置を揃えたほうが早い。字間や行間の設定はデフォルトのままいじらないでおこう。デフォルトって何だよ?

横書きの実例
この画像をダウンロードして目視で位置を揃えよう

ストロークの設定にはやや注意しなくてはならない。そのまま太いストローク黒を入れてしまうと、字体の白地が消えてしまって見にくいから、これを防ぐためにストローク黒10pt(センター塗り)の上へ塗り白を重ねるようにする。このような操作を単一テキストオブジェクトだけで完結させられるソフトウェアでない場合は、ストローク部分と塗り部分でテキストオブジェクトを分けてやればよい。

ややこしいのが書式の装飾である。まずルビと傍点だが、フォントのウェイトをM、サイズを32ptに変更したうえで、座標を上か下のほうへずらす。どの程度ずらすかは本当に適当というか、これも目視だ。

ルビと傍点を打った例
行間と字間は目で見て揃えている

斜体にしてやりたい場合は大抵ニセ斜体(オブリーク体のことですな)で用が済む。のだけど、ときどき「おれが見てきた映像字幕の斜体は傾き方がもっときつくはなかったか?」という疑問がよぎることがあり、こうなるとおしまいだ。画像編集ソフトで丁寧にシアー変形を施してやらねばならない羽目になる。

左がオブリーク体で右がイラレのシアー変形

ますます話が胡乱になるのは縦書きにしたいときだ。1行目のテキストボックスの上端のy座標が100に、1行目のベースラインのx座標が1750に来るように配置する。意味不明だとは思いませんか? 画像で確認したほうが百倍明快だ。行間は72ptにしておきます。

縦書き

いま何も言わず縦書きと斜体を併用した例も貼ってしまった。この形にするためには必ず画像編集ソフトでシアー変形してやらねばならない。なぜかって、オブリーク体にすると全然違うのだ。見てもらうと分かる。

斜体が正しく設定されず苦しむ家畜番

最後に、モザイクを使って字幕の解像度を二分の一に落とす。私の内観的なイメージでは、映像字幕というのは映像に比べてどこかジャギジャギしているものだからだ。最近の字幕は昔ほどジャギっていない気もするが、それはそれだ。幸運を祈る。

被害者の手記

(230725追記:無事にアカウントが復活しました。一日と経たずに以下の文章が用無しとなってしまいましたが、ツイッター社への抗議表明の一環としてこの記事はそのまま残しておきます。
なお、当記事の最後に書いてあるディスコードのユーザー名は、今回のような緊急事態に限らず常に生きています。どうしてもツイッターが信用できない向きの方はいつでもフレンド申請をお送りください。)

 

「貴様のアカウントを凍結した。解除してほしくば96時間以内に
指定のウォレットアドレスへ 0.5 BTC を送金しろ」
と書いてありますね。

私のツイッターアカウント(@onegaist)が不当にサスペンドされた。 まことに的外れな凍結だし、ついでに言えば季節外れだ。

少なくとも User Streams API が廃止されたあたりから、ツイッターはゴミで、終わっていて、カサカサのSNSだという論がまことしやかにささやかれて(正確には呟かれて)きたが、ここ数か月ほどでツイッターは終わっているSNSどころか壊れているSNSへとその地位を貶めてしまった。ことの顛末こそ不明なものの、このたび大量のアカウントが訳も分からぬまま凍結されるてんやわんやがあったらしく、私のねぐらもその煽りを食った。自分にだって、心当たりらしい心当たりはひとつもない。ひどい話だ。

幸いにして、全ツイートのアーカイブはこまめに保存していた(いまはこのログの公開方法を検討している)し、誰をウォッチしていたかは大まかに覚えているので、凍結に際して失われたものはあんまりない。差し当たりサスペンド処置の異議申し立てを行っているが、復活の見込みがないことを確認しだい新しいアカウントを作成して、以降はそちらで活動するつもりでいる。残念なことだが、いくらぶっ壊れて虫の息のプラットフォームだとしても、VTuberのアクティビティを追うのには結局ツイッターが一番都合がよいのだろう。

現状、私への連絡手段はツイッターの外にもいくつかありますが、ディスコードが最も確実です。4桁の識別子の取れた onegaist であなたをお待ちしています。

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おわり

オブラディンからのアメリアで優勝していくわね

(この記事は、2021年11月14日にnoteにて公開した文章を、ブログの移転に伴って加筆修正したものです。)

 

ずっと気になっていたゲームである Return of the Obra Dinn のお遍路を終えました。お遍路とは何のことか具体的に説明すると「ゲームを自力でクリアしたのちに、アメリアによるプレイングをVODで追い直す」というものです。まるまる5日はかかった。

当初は読みやすくまとまった形式で完走した感想を残すつもりでいたんですが、書きたいことをうまく一つの文章へ構成しなおすのすら億劫になってしまったので、箇条書きは箇条書きのままで。ゲームの内容・形式そのものについてと、アメリアの実況プレイについての感想二本立てでお送りします。

よすぎサムネイル
元絵はこちら→source

とその前に、以降の部分では話題の性質上どうしても軽微なネタバレに触れざるを得ず、未プレイの人相手にひらかれていない記事となってしまうので、その免罪符として私と同じお遍路が体験できるリンク二種をここに貼っておきます。そんじょそこらでないゲームとそんじゃそこらでないVTuber、何ほどのことやあらん、とまずは自分の目で確かめてみるのも悪くはないはずです。

オブラディン

  • (プレイ序盤)おれはこの展開を知っているぞ。謎のオリエンタルパワーが呼び寄せた災厄で船も船員もあぼーんって系譜だな。間違いない[スケッチに描かれたフォルモサの王族を見て]

  • (プレイ中盤)清々しいまでに人災じゃないか💢

  • (プレイ終盤)ロシア人ふたり同じ場所で死にやがってふざけんなよどう区別しろってんだよ。お前らも同罪だぞ中国人船員

  • 偶然にも「メアリー・セレスト号」のWikipedia記事を読んだことがあったもので、海賊かクラーケンの出没を予期していたらなんと後者が大当たりし、そこで起きた個人的な記憶とのオーバーラップが自分をゲーム世界に引きずり込んでくれた。幸運なことだと思う INA WHYYYYYY

  • それぞれ時を異にして起こった死の幻影で船内が満たされていく様子は、そのショッキングさと背中合わせに、自分が唯一の目撃者として調査を遂行せねばならない使命感をプレイヤーに抱かせる仕組みとして大いに機能していると言える。オブラ・ディン号という閉鎖空間において、空間的であるだけでなく時間的に、すなわち四次元的な積層構造をもって死体という名の手掛かりを提供する、思わず寒気立つようなこのゲームシステムは、プレイヤーとそのプレイヤーが操作する調査官との視座を限りなく近いものにする。

  • と同時に、最後まで推理推論でこのゲームを詰めきった奴なら、事のあらましをすべてそらで語れるだろう、と思わせるほどに立体的な、それこそ「四次元的」な事態の把握が、ゲームクリア後モニターの前で放心状態のプレイヤー脳内に形作られているはずで、これはあらゆるメディア上でかつてない没入体験を作り出すためのいいヒントになり得るのではないか。
    なあに怯えるでないぞ。現に私はいまや、四次元超立方体が滑らかに変形する様子を目裏へ思い浮かべることができるのだからな。君もいずれそうなる。

  • 「特定の残留思念にアクセスするためにいちいち船内を歩き回らなきゃならないのがうっとうしい、手帳から直接飛べたら楽でよかったのに」という意見の言わんとしていることはよく分かるが、先述の理由で自分は全然ストレスを感じなかったな。元より自分は調査官なのだ、という気持ちで動いていたから、甲板間の往復も調査の一環というつもりで粛々とこなすことができた。
    思うに、ゲーム慣れした人ほどこういう儀式めいた冗長な作業を厭う傾向にあるのではないだろうか、だとしたらたまたまビデオゲームの公理に疎かった自分は幸せ者である。

  • ビジュアル・サウンドデザインは言うまでもなく優れていて、魅力的な空間の創成に成功している。Smoothが酔い軽減のためのオプションだとプレイ中に気付いておくべきだった(ぐるぐる目

どうしてこんなことに……泣泣

アメリア

  • アメリアはかわいい。これは完璧に民主的な意見である。3人に訊ねたらそのうち5人から同じ回答が返ってくる

  • アメリアは賢い(頭が回る)。これも十分民主主義的だ。10人に訊ねたら9人がそう言うだろう。
    自分がアメリアより賢明で才知に長けているとの自負がある読者諸氏は、ここいらで10人中の1人側に回ってみてはどうだろうか。私はやめておく。普通に自信ない。

  • 一方でアメリアは結構悪辣でもある。いや、これに関しては全くの偏見で、デモクラシーの「d」の字もないが、自分は確信を得ている。だって seamen で笑うんだもんアメリア (HINT: semen)

  • ゲーム画面に合わせて自身のトーンの調整、こういうことができるのマジで凄い。普段の姿でゲーム画面の前に立つと興を削いじゃうな、というのをちゃんと理解していて、そのうえでかなり振り切った方法でこれを解決している。かっこいい

dither ame

  • プレイスタイルには、いつものことだが探偵というよりかよっぽどゲーマーの面が強く出ているように思えた。割とごり押しするし。
    配信で公衆の目前に晒されてプレイするのと孤独に黙々と向き合うのと、当然環境が異なるわけで、偉そうなことは何も言えんわけですが、あ~この感じだと作品の一番面白い部分味わえてなさそうだなとぼんやり考えたりしながら(この一文は後で消しゴムで消す)topmanの名前を入れ替えてゲームの顔色窺ったりするのを眺めてた。
    でもでも、適当な推論をリズムよく積み重ねては捨ててを繰り返す探偵ムーブとかは、やっぱこの人頭良いよなって気分でわくわくしながら見られました。そういう意味では半々っす。半々なのか。

  • そもそもこの「お遍路」を思い立ったのは、オブラディンのゲーム設定とアメリアというキャラクターのバックボーンがあまりに都合よく合致したからだ。
    オブラディンの主人公は、肩書きとしては保険調査官と訳されるけれども、彼/彼女がこの船上で行うことになる調査といえば、時間をさかのぼれる懐中時計を用いて船員の凄惨な死の真相を追究するというもので、要するに時空探偵業そのものなのだ。これほどのお膳立てがあって、もしアメリアがこのゲームを配信するとなったときに、そのプレイングが様にならない道理はないのである。
    果たしてアメリアはその期待通り(先述した「ゲーマーの顔が奥に覗いてどうこう」という突っ込みどころもあるにせよ)、配信の全編を通してこのゲームへの素晴らしく良質な没入感を提供してみせた。
    ──あるいは? 実は、自分が得たこの没入感こそ、「お遍路」の成就を直接的に示すものだとしたら?
    もしそうなら私は、このゲームとこのストリーマーとを引き合わせたすべての世界の約束に、ひとつひとつ礼を述べて回らねばならないだろう。たくさんの有志がアメリアにこのゲームを薦めてくれていたことを知っているからだ。まにーあいつもありがとう。卑近な言葉で表すなら、これは一種の予定調和である。

美しすぎて草

 


以上、プレイと視聴に際し長大な時間が燃えカスとなって消えていったが、他にまったく代えがたい体験ができて感激です。あるひとつの作品をこれほどまで縦横無尽に味わえるというのは稀有なできごとで、その事実に、自分がこの上ない幸福を感じていることは間違いありません。アメリア・ワトソンのことももちろん、知っていて本当によかったし、これからも彼女の活動を追い続けることになるでしょう。

 

そうそう、最後にとても有益な商品をおすすめしておきます。
アフィリエイトじゃないよ。少なくとも今はな。